第三章 フェルカ通り7番地



次の日の火曜日の朝、いつもどおり会社に向かう私は今夜の計画を立てた。

前日の夜の時5分前、この時に”私”がビルから出てきた。そして私がバーで目にしたテレビはちょうど時のニュースが始まったところだった。つまり、”私”と衝突してからニュースが始まる迄、たった数分しか経っていない。
私は、同じ場所、同じ時間に、この日また訪れることを決めた。
今にして思えば、この日はいつもより時間が経つのが遅かった気がする。
職場ではペーターと先日での問題についての会議があった。この会議では、問題も解決に向けて前に進めることが出来、ペーターとは快い同意まで分かち合った。
その後、いつも通りオフィスのレストランで昼食をとったが、よほど思いつめていたのか、皆に対してほんの2,3言位しか喋らなかった。結果、具合が悪いのかと心配をしてくれる人間が少しばかりいたが、大丈夫だ、難しい仕事について考えてるだけだと口を濁すしかなかった。
この日の6時、定時で私は職場を離れた。
足早に、あの男に会ったあの通りに向かい、すぐに私はあのドアを見つけた。
ドアにはフェルカ通り7番地と印字されている。
待っている間、注意深く通りを観察した。短くて暗い道、昨日からの沢山の雪が、未だ残っている。別側の通りの区画にあるマンション型の建物は19世紀後半から20世紀前半に建てられたものだ。それらの殆どは汚く決していい状態ではなくなっている。
未だに壁の至る所に第二次世界大戦時、もしくはハンガリー革命の際の弾痕を見ることが出来る。このエリアの区画は大きなフロントドアの階建ての建物で埋まっている。
この時、冬の夜、マンションからは、たった1つか2つのキッチンウィンドウから夕食の支度の明かりが漏れていた。
私は待っていた。そわそわと、ゆっくりと歩いて行ったり来たり。
寒い中、アメリカ映画のちょっとした私立探偵気分を味わった。
数人が通りを歩いていくが、この時も前の晩と同じくらい静かだった。
時計を見る。もう間もなく時になる。
私は7番地ビルのエントランスの反対側の壁を背に立った。
静かだ。特に何も起こらない。
7時丁度、小さな犬を連れた女性が通りを歩いてきてドアを通っていった。
しかし特に変わった様子は何も見当たらない。確実にいえることは私に似た人物等、全く見つからないということだ。
私は7番地ビルのドアに向かった。
そして各部屋のドアベルの横にある名札を見た。何かが見つかるかどうかなんて解らない。そこにはよくあるハンガリアンの姓と、この建物の一階にある小さな会社の屋号が連なっているだけだ。
私は前の晩に訪れたバーに向かい、フェルカ通りの通り沿いを歩き、ジョージー通りに入った。そこにバーがあるのだ。私はバーの階段を下り煙たい部屋に入った。
赤ワインをオーダーした私をバーマンは一瞥した。
「友達は見つかったかい?」
「え!?」
意図してない問いかけのせいでワインに向かって咳き込んだ私に対して、バーマンは訝しげだ。
「昨日、あんたが探してた人だよ、見つかったかい?」
胸を叩き、落ち着いた私は答えた。
「いや、実はまだなんだ」
「だからまたここに来た。今夜は見つけられるといいんだがな」
「どんな風貌なんだい?あんたの友達ってのは」
「そうだな、彼は...うん...
私は口を濁すしかなかった。バーマンはグラスを拭きながら私の言葉を待っている。
「彼はね、実をいうと私にそっくりなんだ。妙な話だが本当に瓜二つみたいだ」
「残念ながらあんたに似てる人間は、ここでお目にかかったとは言えないな」
彼は言った。
「とはいえだ。俺がここを買ってから、まだ一ヵ月半しか経ってない。俺もこの辺りの人達を、まだよく知らないんだ。だから常連さんしか見分けがつかないよ」
一人の男がバーカウンターに来ると私は席を立った。角のテレビでニュース番組の最後を見ながらワインをたしなんだ。
よく見ると周りの人達は、みな前の晩に見かけた人だ。少なくとも私に似た人間等は居合わせていない。私は店を出ることにした。

家に帰った後、キッチンテーブルの置き手紙を見て私はほっとした。
今夜は新しい生徒の授業で外出しているとのこと。
これで、また自分が何処にいたのかの仮想ストーリーを作り上げる必要は無くなった。


この夜、奇妙な夢を見た。

夢の中。
ドアを強く閉める大きな音が鳴り響いた。
ビルの中から外に向かって走っていた私は、ドアを開け外に出た直後、誰かにぶつかった。その男。彼はたまらず倒れこんだ。
私は振り返り、すまないと一言告げた。
彼は地面に倒れこんだまま。私が見たその彼とは、まさしく私自身の姿だった。

恐怖で目を覚まし、ベッドルームは綺麗で暖かいにも関わらず、暗さと寒さに震えた。
奇妙な事に、その夢が、あたかも全てを変えてしまったかのように。

夢の中でビルから走って出ていったのは私が見たあの男ではなく、自分だった。
そして私が見下ろした、地面に倒れていた男。それも私だったのだ。

アンドレを起こしてしまったようだ。
「何かあったの?」
眠そうに目をこすり、聞いてきた彼女は明かりをつけた。
返事をすることさえ出来ない私を彼女は心配そうにしている。
「具合悪そうだわ、気持ちが悪い?」
「いや......今のは......夢だ......ただの夢だ」
「ダーリン、かわいそうに」
そういうと彼女は私の頭を抱き、頬にキスをした。
「もう大丈夫。さ、もう寝ましょう。」
私達は再び横になった。
彼女は明かりを消した後、直ぐに寝付いたようだ。
私はベッドに横になっていた。寝付けないまま、暗闇の中、四方の壁を見ているだけ。
あの夢が映画のように鮮明に、頭の中をぐるぐると回っていた。

怖い
しかし、この時私は何が恐ろしいのかさえも解らなくなっていた。