第十一章 真実を求めて

私は閉められたドアを見つめ立ち尽くした。ドアの向こうからはアンドレがエレベーターに乗り込み降りていく機械音が聞こえる。

どうすればいい...どうすれば...
アンドレはドッペルゲンガーの事で疲れていた。それは解っている。そしてそれは私もだ。彼女は私にもっと家族に対して献身的になることを望んでいた。そしてそれは私も望んでいたことだ。しかし、私は自分の身に起こっていることが何なのかも知りたかった。
数分後、私はコートを羽織り、ジョージー通りに向かった。そして先日会ったハウスキーパーをまた尋ねた。
今回は、より沢山のことを探らなければならない。とにかく私は聞き込みを始めた。
このビルにサボゥという姓の住人はいたか? いない
過去にサボゥという姓のハウスキーバーはいたか? いない
老齢の方は住んでいるか? 2階にいる、70代にはなるだろうコザックという、お婆さんがいる。
私はその人にかけた。
コザックさんはとても親切な老人だったが、彼女は1979年、夫を亡くした際に引っ越してきたばかりだ。近所には彼女の娘とその家族がいるという。
その後、私はフェルカ通りに出向き、そこのハウスキーパーにも再会した。
ジョージー通りのハウスキーパーにした質問を彼女に並べた。
彼女の口からサボゥという姓をした家族が3階に住んでいると聞いた瞬間。出来ることなら、この時に私が受けたカタルシスをあなたにも味わってもらいたい!
勇み足でエレベーターに乗り込み3階に行き、その扉を尋ねた。ドアは汚い上着を着た大柄の男によって開けられた。
「サボゥさん?」
半ば自信なさげに私は尋ねた。
「何の用だ?」
男はいかにも不機嫌そうだ。
「あ...いや、妻の遠い親戚にサボゥという姓の方がいまして、その、探してるんです」
できる限り頭を回転させた。
「もし何か、ご存知ではありませんかね」
「なんだ?何を知りたい?」
男は醜い声で聞いた。どこか警戒をしているように感じられる。
「あなたのご家族は、第二次世界大戦の終戦時にこのビルに住んでいましたか?」
「お前には関係ない」
そういうと男はドアを閉めようとした。
「ちょっと、ちょっと待ってください!私は随分遠くから来ました。これはすごく大事なことなんです!」
「おい」
サボゥは言った。
「警察か、探偵か。お前がそうでない証拠が何処にある?」
何なんだこの男は。
「サボゥさん。私を見てください。私はイギリス人です。コンピューター会社で働く唯のサラリーマンです。私はただ、あなたのご家族が戦時中にここに住んでいたかどうかを知りたいだけです」
私がそう答えると彼は少しだけ柔和になり
「住んでなかった。俺の親父とお袋は1956年のハンガリー革命の後にここに引っ越してきたはずだ」
彼は答えた。
「そして彼らはもう死んだ。俺は1958年生まれだ。もういいか?」
...解りました。どうもお時間割いていただき、ありがとうございました」

なんて男だ。去り際にエレベーターに向かって歩きながらそう思った。そして彼は私の探していた人じゃない。その後、ハウスキーバーを再度訪ねた。
「申し訳ないが、違うサボゥさんだったようだ」
「あら、なんてこと...ならもうここには他にいないわ。」
...お年寄りの方はいませんか?それか長い間ここに住み続けてる家族は?」
「いるわ」
彼女は答えた。
「独りだけいるわ。4階に住んでらっしゃるフィッシャーという方よ。彼女はもう長いことここに住んでいるわ」
「素晴らしい」
私は微笑んだ。
「ありがとう」
再びエレベーターに乗り込み4階に上がった。そしてフィッシャー宅の前に来た。
私は老婆が出てくるまでドアベルを鳴らしに鳴らした。彼女は耳が遠い。しかし彼女は私を小さなキッチンに招きいれてくれてコーヒーをご馳走してくれた。
「フィッシャーさん。どの位、フェルカ通りにお住まいなのですか?」
それぞれの質問を彼女が理解できるまで3回は繰り返した。私のハンガリー語がいまひとつなのと、彼女の耳が遠いせいだ。
「1937年からですよ、おぼっちゃん」
彼女は答えた。
「旦那のパルと一緒に若い時に、ここに引っ越してきたのよ。旦那はね、5年前に亡くなったわ」
「それはお気の毒に...第二次世界大戦中もここに住んでいましたか?」
「ええ、住んでいたわ。...いえ、私がすんでいたわ。旦那は殆どいなかった。喧嘩ばっかりしてたからね」
「1945年はここにいましたか?ロシア軍がドイツ軍をここペストから追いやった時です」
「ええ、確かにここにいたわ」
フィッシャー夫人は答えた。
「ロシアとドイツ、どっちが悪かったかなんて知らなかったけどね!」
「それで、当時のここの住人を覚えていますか?」
「そうね、いくらかは覚えてるわ。でも、多くの人が殺された...
ここで彼女は当時の凄惨な状況を思い出しているかのように見えた。
「サボゥという姓の人を覚えてはいませんか?」
彼女はとても怪訝な表情を浮かべ私を見た。
私は彼女が何も覚えていないというかと思ったが、老婆は静かに呟いた。
「ああ、かわいそう...かわいそうなジャノス」
私は老婆を見つめ次の言葉を待った。
「コーヒーのおかわりはどうだい?そうだ、それともジュースがいいかい?」
「いや、大丈夫です。フィッシャーさん。でも、さっき一体何を言おうとしたんです?ジャノス サボゥさんでいいんですか?その方がどうされたんです?」
再び返事を待つ。
...恐ろしかった」
彼女は答えた。
「私達は本当に気の毒に思ったわ。本当にひどい出来事だった。そしてあの時は丁度、ペストでの戦争が終わった時だった」
彼女はまた止まった。私は胸騒ぎを感じながらまた次の言葉を待った。
「あの人は戦争中ずぅっと家族の面倒を見ていたわ」
彼女は言った。
「身体の丈夫な人ではなかったから戦地には行けなかったのよ。1943年に赤ん坊が生まれたわ。とっても可愛い女の子だった。3人はすごくいい家族だったわ」
ケイティの事が頭に浮かび私は微笑んだ。
「彼の奥さまはよく地下酒造場の仕事を手伝ってたわ。けどあの日に...
「その、地下酒造場ってどこにあったんですか?」
「あら、そんなに遠くないわ」
彼女は答えた。
「ちょうどそこのジョージー通りの角を曲がったところよ」
間違いない。ゾルツの酒蔵のある場所だ。私は硬直し彼女を見た。少しの間、彼女の言葉を飲み込めずにいた。いや、飲み込むのを拒んでいたのかもしれない。
「そして、あの日。1945年の戦争が終わった日のジャノスはここの中庭に降りて、小さな子供達の遊び場にいて隣人と会話してたわ。私達はもう戦争が終わると思ってた。外に聞こえるロシア軍の銃声と爆弾の音も、ほんの少しになっていたから」
「そうしたら、突然、男の人がビルの中に走りこんできてジャノスに叫んだのよ。急いでジョージー通りの地下の店に行けって。何かが起こったんだと思ったわ。直ぐに彼は走り出していった。その後、彼が戻ってきた時、彼はまるで別人のようだったわ」
ここで彼女は話を止めた。今度は永い沈黙だ。
「何が起こったんですか?教えてもらえますか?フィッシャーさん」
たまらず私は聞いた。恐る恐るに。
「ああ、とてもひどいこと」
老婆は顔にしわを寄せ、瞳には泪が潤んできた。
「なんて不幸、なんて不公平なの。戦争は終わった後だってのにジョージー通りの地下酒造場の上でロシアの爆撃があったのよ。爆発はしなかったわ。でも地下室を壊すには十分な重い鉄の塊。それでかわいそうな奥さんと赤ん坊が殺されたのよ。なんて不公平なの」
私は遂に過去を知る人物に出会い真実を見つけだした。その満足感に浸る事など出来ずるはずもなく、真実を受け入れることが出来ない。
「その後、ジャノス サボゥはどうしたんですか?」
「ああ、かわいそう、かわいそうな男。あの人はまともじゃなくなってしまった。そして1956年のハンガリー革命の動乱の中で死んでいった。彼は生きる望みを無くして死にたいと願っていたのよ」