ジョージー通りに入った私は脚を止めた。いや、止めざるを得なかった。何処へ向かえばいいのか...視界が遮られていた。辺りには一面に厚い灰色の煙が広がっている。何も見えない、そしてひどいガスの臭い。古いビルの壊れたガス管が爆発したように思われる。
私はハンカチを手に取り、口と鼻に充てて通りをゆっくりと進んだ。辺りは騒がしく、人々の泣き叫ぶ声、煙の向こう側に車のクラクションがけたたましく鳴り響いている。足裏にくる感触から壊れたガラスの上を歩いている事に気がついた。爆発によって割れ落ち砕けた窓ガラスだ。災難に見舞われた住人達は既に割れたガラスを窓から叩き落したり、窓に紙もしくはビニールを貼り始めて部屋の中の暖を保とうとしている。
ゾルツのバー付近に辿り着いたようだ。それは小さな群集がそこにできていた事によって気づかされた。目をこらして入り口を見下ろすが何も残っていない事が見て取れる。下り階段なんて跡形も無い。窓も。壁も。そこには瓦礫の山があるだけだった。私の心の中は空っぽだった。
そして我に返った。
「私の妻!」
ハンガリー語で叫んだ。
「私の妻と娘があそこにいるんです!助けなければ!誰か!」
人々が一斉に私を見た。
「さぁ!」
私は周りの人々を目で促した。
「お願いします!助けてください!手を貸してください!」
後にも先にもこれ程懇願したことはない。皆に一列に並ぶようにしてもらい、手渡しで瓦礫をリレー形式で取り除いて、通りまで運ぶように懸命に頼んだ。自分も壊れた岩と木を拾い上げなければならない。人々はすぐにやるべき事を理解してくれ、我々はよく動いた。バーの隣人、他の人も協力してくれて全く心強いチームだ。驚くほど早く店の入り口へと続く道があった場所を確認できた。
すると、パトカーのサイレン、消防車、そして救急車の音が近づいてきた。周りの人々は手を止めた。
「どうしたんですか!?私の妻と娘が埋もれてるです!はやくしないと...」
私が見上げると灰色のライトの中、黒い服を着たかなりの大男が私の上にいた。
「そこのあなた、こちらに来てください」
「しかし!私の家族があそこにいるんだ!助け出さなければ」
私は手に持っていた壊れた木の欠片と岩を通りに放り上げた。そしてドアウェイにある残りの瓦礫を取り除こうと振り返る。するとたくましい腕が私の両脇を抱え、じたばたする私を通りまで引っ張り上げていった。
「大人しくこちらまで来てください」
「離してください!離せ!...妻が...」
「よく解りました」
その声はレスキュー隊員のものだった。
「しかし、今あなたがあそこに行くのはとても危険です。ここは任せて下さい。ガスが充満しています。解るでしょう?」
私はハッとしガスの事を思い出し硬直した。ふらふらする。頭が朦朧とし肺にガスが入っているのを感じる。体に力が入らない。立つのが辛くなった私はレスキュー隊員の肩を借りてストリートにまで出た。すると立っていられなくなりその場で倒れ、自分の無力さに泣いた。
その場から数メートル先の救急車まで、数人の手によって運び込まれた私は救急車の中で横になった。肺の中の空気を全て出すような勢いで激しい咳が止まらない。看護士が私の息を楽にさせるために、私の口元に呼吸器を取り付けた。楽になった私は起き上がろうとした。
「お願いですから寝ていてください」
看護士はいった。
「しばらく安静にしなければなりません」
「しかし、あの地下には私の妻と娘がいたんだ。私は彼らを見つけ出さなければならない」
「今、あなたに出来る事は何もありません」
声は落ち着いていて諭すように発せられた。
「ただ、休んでいて下さい」
私は数分間、眠りについた。目を覚まし起き上がり救急車から出ると看護士達が通りに立っていた。
「気分はどうですか?」
その中の一人が聞いた。
「ええ、有難う。よくなりました。何かいい情報はありますか?」
「いえ、まだです」
もう一人の看護士が答える。
私は更に大きくなった野次馬をかき分け前に進んだ。
煙が消えた辺りは沢山の青いライトに照らされていた。警察が人々を現場から遠ざけているのでスペースが出来ている。レスキュー隊員は幾つかのライトをゾルツのバーの前に置いていたので、彼等が何をやっているかが今はよく見える。
私は警察の一人を呼びゾルツのバーにいた人間の夫だと説明した。彼は私を別の通りにある警察のバンに連れて行った。
「こんばんわ」
中では若い警察官が座っていた。
「どうぞ、かけてください」
私は促されるまま彼の向かいに腰をかけた。
「何か進展は?」
「残念ながらまだありません」
神妙な面持ちで彼は言った。
「何点かお聞き願えますか?」
それから5分間、私は私の知りうる事実、アンドレとケイティの事を話し、彼は複数の種類の書類にそれぞれを書き留めていった。更にバーについて私の知っている事、働いている人間、爆発時点で中に居合わせていたと思われる人物について質問を受けた。
「私はどうすれば?」
うろたえたまま私は聞いた。
「そうですね。貴方はこの辺りに住んでいる。自宅に戻って我々からの連絡を待ってみるのはどうですか?あなたの連絡先はもうわかりました。何か情報が入り次第すぐにお知らせしましょう」
「解りました。よろしくお願いします」
私はバンを出た。人ごみを掻き分け、通りを離れていった。振り返ると野次馬に溢れ、騒音が止まず、現場を照らす照明をあてられたジョージー通り。事故の凄まじさが見て取れる。
ひどい...
信じたくないが心の奥ではあの爆発で生きていられる人などいない事は解る。酒蔵は跡形もなく破壊されていた。ケイティとアンドレが生存できる可能性等ない。
私はなんて愚かだったのか。アンドレに夢で見た事、フィッシャー夫人宅で聞いた事実を何故伝えなかったのか。
私は体を預けていた壁に向き直り額を打ち付けた。何回も何回も、暗がりの中、自らを痛めつけた。涙が地面にこぼれ落ちてゆく。
自分が妻と娘を殺した?信じたくない。
世界で最も愛するこの二人を気にするあまり、私はドッペルゲンガーの話に入れ込みすぎた。ドッペルゲンガーが何を伝えようとしているのかを知るために入れ込みすぎた。何処まで馬鹿だったのか!
バーは破壊された。私の妻と娘も破壊された。そして私の人生も。もう二度と戻ることは無い。